I。国民歌集としての「万葉集」
1.「万葉集」の国民的価値
* 「「日本文化の偉大なる遺産」とか「日本人の心のふるさと」などと称されるこの歌集は、しかし、多少反省すれば分るように、実は奈良時代の貴族たちが編んだものであって、その成立以来一千年以上にわたり、日本列島に住む人々の圧倒的部分にとっては縁もゆかりもない存在だった」(48)。
* {そういう状態が}「明治時代の中頃までは続いていたと見なければならない」(48)。
* 典型的な教科書には:「作者は天皇から庶民に至り、全巻にわたって、素朴な感動が力強い格調で歌い上げられている」(49)。
* 「記述中、「万葉集」の価値に関わる要素は、最古の大歌集であるという点、多様な歌体と内容からなるという点、そしてこれが重要なのだが、作者層が幅広くかつ歌風が健全であるという点だ」(49)。
* しかし。。。「「万葉集」の原典を読みこなすには、当然ながら、上代語。。。の語彙や文法を心得ている必要がある。ところが、現代の日本人が高校を出るまでに学習する古典語とは、平安貴族の言語を規範とする書記言語であって、正規の過程で上代語が体系的に教授されることはないし。。。」(50)。
* 「万葉集は。。。National identity 支えるカノンーとして発明された著作品の、もっとも典型的な事例なのである」(51)。
2.国民的詩歌への夢
* 「子規の万葉集は、しかし、同時代の守旧派歌人たちを排撃するための戦略にほかならなかった。じっさい彼は、「歌よみに写ふる書」を書いた時点では、まだ「万葉集」を味読してはいなかったようだし、「古典集」以来の和歌の堕落という議論の骨格自体、決して彼のオリジナルではなかった」(52)。
* 「国民全体に共有され、貴賎老少に愛唱される詩歌が、まさに渇望されていたのだ。そのような詩歌の創出は繰り返すが、列強に伍して東洋に覇を唱えるべき祖国が真に世界の一等国となるために、どうしても必要な条件なのだった(55)。
* 「国民歌集「万葉集」とは、要するに、国民的詩歌の不在を埋めるための心理的価物にほかならなかった。願望こそがこの万葉像を描き出したのであり、上記の特徴はそれを安定させる契機ではあっても、事態のそもそもの原因ではなかった。」(58)
* 「これと一派通ずる現象として、能の復興を想起することができる」(58)。
* 平家を取り上げると: 「「国家」や他の軍記を国民叙事詩と捉える試みは、一九0六年に初めて現れて以来。。。」(58−59)
* 天皇から庶民までというイメージが平家物語には見つからなかったから、それを万葉に入れておこうという試み。(60−61)
3:国民歌集化の前史
* 大和魂、明治のナショナリズム(63)。
* 基本的には中華文明への劣等感と対抗意識だった。(63)。
* 「。。問題のフレーズに前近代の用例が認められるとしても、そこには近代の用法とは異なる論理が存在したと見るべきだろう。実際、そうした事例は、院政期の歌人源の俊頼の歌論(俊頼髄脳)にみられるし、降っては、近世の民間歌人下河辺長流が自編の歌集「林葉塁塵集」に寄せた序文を挙げることもできる。。。」(63)(64の最初をご覧になりたまえ)。
4:「民謡」概念の導入と国民化集観の確立
* 上田敏:VOLKSLIED――民謡。(70−71)
* 民謡的な東歌と防人歌というのが万葉集の中に数多く含まれているので、万葉集は国民的。しかし、そんなに複雑かつ正式的な詩歌が書くことが出来る人とは、ただ貴族の人たちしかいないので、教育されてない国民の唯人に書かれたことはありえない。それ故、万葉集が国民的であることを証明するのは無理。(72−3)。
* 国民的な万葉集は発見されたではなく、発明されたにほかならない。(73)。
* :大日本帝国が広がっていくとともに、万葉集の中国の明らかな影響を次第に認めなくなった。(76)
5:国民歌集観の完成形態
* 国民的な万葉集という偏見が現代にいたるまで残っているのは、二つの大きいな原因がある。一つは、国民性(つまり政治的かつ帝国主義の立場からの見解)。その見解は殆ど戦後に消された。もう一つの理由は、民族性と民衆性。(80.最後の段落をご覧になりたまえ)。
埼玉の吉田真美のお家での久しぶりの再会。
- 2006/03/28(火) 22:13:31|
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